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仙台地方裁判所 昭和60年(わ)327号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実の要旨等

訴因変更前の本件公訴事実は、「被告人は、昭和六〇年四月一五日午後零時二五分ころ、宮城県塩竈市泉沢町《番地省略》K方前路上において、A(当時四三歳)に対し、同人の胸倉をつかんで押し倒し、その後頭部を同所のコンクリートに打ちつけるに至らせ、更に転倒した同人の頭部をつかんでその後頭部を数回右コンクリートに打ちつけるなどの暴行を加え、よって、同人に加療期間不明の急性硬膜下血腫、脳挫傷の傷害を負わせたものである。」(罰条刑法二〇四条)というのであり、訴因変更後の公訴事実は、右事実に「同年五月八日午前零時三四分ころ、仙台市宮城野二丁目八番八号所在の国立仙台病院において、同人をして、右(暴行)傷害に基づく硬膜下出血のため死亡するに至らしめたものである」。との事実を加えるものであった(罰条刑法二〇五条一項)が、昭和六二年三月三〇日の第一六回公判期日に至って、本件公訴事実中暴行の場所とされる「K方前路上」の意味を問う当裁判所の求釈明に対し、検察官は、K方玄関先のコンクリート付近(以下第一現場ともいう。)の暴行に止まらず、同人方玄関先東側路上(以下第二現場ともいう。)における数回の暴行をも含む趣旨である旨釈明したうえ、その暴行の内容について、同年六月二六日の第一八回公判期日において、第一現場においては被害者の身体を右手拳で数回殴打及び足蹴りしたことを含み、第二現場においては被害者の頭部を持ってその後頭部を数回路面にたたきつけ、数回にわたり被害者の顔面を殴打及び被害者の身体を足蹴りしたものである旨釈明した。

二  争点

被告人は、当公判廷において本件当時飲酒酩酊しほとんど記憶がない旨ないし犯行を行ったことはない旨供述し、弁護人は、被告人が本件犯行を犯した事実を否認する、なお仮に被告人が本件犯行を行ったとしても、被告人は飲酒のため異常に深い酩酊に陥り、本件当時心神喪失の状態にあったと主張している。

三  当裁判所は、結論として、取調べた全証拠によるも被告人が本件犯行を犯したという点につき犯罪の証明が十分でないとの判断に到達したが、以下にやや詳しくその理由を示すこととする。

(一)  被告人につき有罪を疑わしめる状況と証拠

取調べ済みの関係各証拠中、被告人の当公判廷における供述、第二回及び第八回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、第四回公判調書中の証人L子及び第五回公判調書中の同N子の各供述部分、司法警察員作成の現行犯人逮捕手続書、司法警察員作成の傷害被疑事件捜査報告書、司法警察員作成の昭和六〇年四月二〇日付け実況見分調書、医師和田徳男作成の死亡診断書並びに医師勾坂馨作成の鑑定書によれば、被告人は、昭和六〇年四月一五日午前一〇時前ころ、前記K方茶の間において、Aとともに焼酎を飲むうち、同人と口論となり、その後同人と相前後して同家玄関から外へ出たこと、同日午後零時三〇分すぎころ、同人は、右玄関先東側路上において、頭部左側に傷害(以下本件傷害という。)を負い出血して横たわっているのをK方の隣人であるN子に発見され、その通報により駆けつけた救急車で病院に搬送され、治療を受けたが、同年五月八日、入院中の前記国立仙台病院において、右傷害に基づく急性硬膜下血腫による脳圧迫等により死亡したことなどの事実が明らかであり、これら事実は(一部右口論の有無の点を除けば)、被告人、弁護人もこれを争わないところである。

ところで、第四回公判調書中の証人L子の供述部分(以下L子証言という。)には、(後に検討するとおり、幾多の問題点があるが)一応公訴事実のような被告人のAに対する暴行を目撃した旨の供述部分が含まれ、第六回公判調書中のL子の娘である証人M子の供述部分にも、ごく局部的ながら被告人のAに対する暴行を目撃したかのような部分があり、被告人の捜査官に対する各供述調書等の中にも、断片的ながら、犯行の一部を自認するかにみられる部分があるほか、医師黒田俊作成の診断書及び司法警察員作成の被疑者写真撮影報告書によれれば、事件直後、被告人の右手背等に新しい出血の跡が存在したことが認められ、更に本件全証拠によるも、Aが倒れているのが発見された時間帯に、同人の受傷の原因となりうる様な行為をした第三者の存在が明らかでないこと等に照らすと、形式的には被告人の有罪についての一応の証拠が存するかのように見えないではない。

(二)  そこで、以下右の各証拠につきその実質的証拠価値を判断する。

本件公訴事実における被告人の暴行全般に関する証拠はL子証言のほかになく、その意味で同証言は本件における最も重要な証拠というべきであるところ、同証言の内容は、後述のとおりその趣旨を捕捉するのは必ずしも容易ではないが、おおむねつぎのようなものである。すなわち、「本件当日の朝、被告人がK方に来てお茶を飲んでいるところへ、被害者とされているAが、酔ってやって来て、夫のKが午前一一時ころ仕事に行くため家を出た後、Aが近くの酒屋から一・八リットル瓶入りの焼酎を買ってきて、K方茶の間で、被告人と二人でそれを飲み始め、右焼酎を短時間で飲み終えると、二人とも相当酔った状態で玄関から外へ出たが、Aは外へ出てすぐ歩けなくて倒れてしまった。」、被告人とAは、「右焼酎を飲んでいる最中口論を始めた」、あるいは「玄関の外へ出てから喧嘩した。」、「自分は、被告人とAが喧嘩したのでこわくなり、すぐ玄関の戸を閉じて錠を締めた。」、「被告人は、玄関前路上で、Aに対し、殴る蹴るなどしたり、玄関横にある便所のくみ取り口のコンクリートにその頭部をぶつけたりした後、Aを玄関先東側路上まで引きずって行き、そこにおいて、Aの頭部を地面にたたきつけるなどしたが、自分は、右状況を玄関のガラスを通して玄関内から目撃した。」、「その後、N子が呼びに来たので、玄関の錠を開けて外へ出てみたら、玄関先東側路上に血痕が見え、そこにAが横たわっていた。」、「玄関横にある便所のコンクリート上にも血痕があった。」というものである。

しかしながら、L子証言を仔細に検討すると同証言は、まず同女が事件を目撃したか否か、目撃したとしてどのような状況を目撃したかについてすら、被告人とAとがK方玄関先で喧嘩するのを目撃したかのようにいう部分がある一方で、被告人とAとが玄関から外へ出たあと自分はすぐに玄関の戸を閉め錠を締めて屋内におり、事件は玄関のガラス戸を通して目撃したともいい、更には屋内にいたところN子に呼び出されたので外に出ると、すでにAは玄関先東側路上(第二現場)に横たわっていたともいう(なお、L子は、当裁判所の検証時においては、N子から呼ばれたので玄関の戸を開けてみたらAが玄関のすぐ前(第一現場)に横たわっており、その後被告人がそのAを玄関先東側路上に引っ張っていったと指示説明し、公判廷における右の供述とも異なっている)など二転、三転してほとんど帰一するところがなく、一体同女がどの範囲の事実を現実に(推測や想像を交えずに)目撃したといえるかが明らかでなく、L子証言は目撃したということ自体のうちにすでに重大な疑念を差しはさむ余地を内包するものといわざるをえない。また、第五回公判調書中の証人N子の供述部分(以下N子証言という。)によれば、K方と小路を隔てた向いの家の主婦であるN子は、事件当時自宅子供部屋から被告人とAとがK方玄関前のコンクリート付近で体を横たえるなどしているのを見て一旦その場を離れた後、再び子供部屋に戻ると、AがK方玄関先付近の路上で立ち上りざま一人で後方にあお向けに転倒し、さらに、付近の地面上に血痕が見えたので、K方へ行ってL子を呼ぶと、L子が玄関の錠を開けて出てきた、本件前後においてL子の姿を見たのはその時が初めてである旨供述するが、これによれば、少くともN子がこれらの事実を目撃している間は、L子は同女方の屋内にいて玄関の外の状況を目撃してはいなかったことにならざるをえず、この点からもL子が目撃したという事実の範囲については疑念が残ることになろう。

次に、L子証言の内容についても、被告人がAに対し暴行を加えるに至る経緯、暴行の態様などについても、単に両名が喧嘩したと繰り返すなどしてさほど具体的な供述をしていない部分が多く、被告人の暴行なるものを特定するに必ずしも十分でないばかりでなく、L子が玄関のガラス戸を通して事件を目撃したという点については、司法警察員作成の昭和六〇年四月二〇日付け実況見分調書によれば本件当時のK方玄関の戸はくもりガラス戸であったことが認められるから、そのような目撃は困難となるはずであり、また、L子証言はK方玄関先東側路上のほか、その玄関横便所のコンクリート上にも血痕があったと強調し、被告人が同所でAの頭部をコンクリートに打ちつけたことの証左としているが、右実況見分調書及び司法警察員作成の傷害被疑事件捜査報告書によれば本件の後右便所のコンクリート上に血痕が存在しなかったことが確認されているなど、L子証言はその重要な点で客観的、物的証拠に照らして事実に反する部分が含まれていることを見逃すことができない。

以上のようなL子証言の問題点は、同女が精神的成熟度等にやや問題があることなどからくるところが多いと思われるが、なお、N子証言及び司法警察員作成の昭和六〇年一〇月四日付け捜査報告書によれば、L子の夫Kが本件当日少くとも被告人とAとがK方玄関から外に出たころまでは在宅していた疑いがあるのに、L子証言はKがそれ以前に外出したと固執するなど、その証言態度にも問題がないでもない。

以上を要するに、L子証言には、同女が被告人のAに対する暴行を真に目撃したか、あるいはどの範囲の事実を目撃したかに関しても、また目撃したという内容に関しても、看過しえない疑問点があって、全体としてその信用性は低いものといわざるをえず、これをもとに被告人の本件に関する暴行を認定することは困難といわざるをえない。

(三)  次に第六回公判調書中の証人M子の供述部分(以下M子証言という。)について検討する。同女は当時九歳であったが、M子証言によると、同女は、K方玄関先の被告人のAに対する暴行なるものは全く見ていないが、被告人がK方東南寄りの子供部屋前付近で横になっているAの身体を殴ったり蹴ったりしたのは見たというのである。

ちなみに、右証言は、本件公訴事実における被告人のAに対する暴行の全体に関するものでなく、その最後の一部のみに関するものであり、しかもそれが認められたとしてもAの死亡の原因となるような暴行ではないと解されるから、同証言によっては本件の傷害致死の認定はできず、せいぜいその周辺的暴行(それは起訴状記載の公訴事実中には具体的にあげられていない)の一部の成否の問題にとどまることが指摘される。そのうえで、検討すると、M子証言は、事件後に母親のL子や友達から聞いた話と自己が目撃したことを一応区別し、また意図的に事実を曲げようとする態度も認められないから、その意味ではそれなりの信用性を認むべきもののようではあるが、しかし、同女の目撃状況については、当初は、最初目撃した時すでにAは道路上に横になっていたといいながら、後では被告人のAへの暴行を目撃したというように全体として大きく矛盾しているばかりでなく、目撃したという場面が甚だ断片的で相互の連続性がなく、その目撃したという被告人のAへの暴行についても、行為が具体的に特定されているとまではいえないのである。このようにM子証言は、同女が低年齢であることからくる記憶の不正確さや混乱が窺われれるほか、無意識のうちにも母親であるL子の話などからの不当な影響を受けていないといい切れないものがあって、その信用性には疑問が残るといわなければならず、同証言によって被告人の暴行(の一部)を認めることもできないものというほかない。

(四)  医師黒田俊作成の診断書及び司法警察員作成の被疑者写真撮影報告書によれば、本件後被告人の右手背等に挫創などの傷害が存在したこと、右手背の傷は握った状態で鈍体に強くあたったために生ずる可能性があることが認められ、これに被告人のAに対するなんらかの暴行の存在を疑わせないでもないが、そうかといって右の傷がAへの暴行と必然的に結びつくというものでもなく、関係証拠によれば、被告人は本件当時後述のとおり相当深い酩酊状態にあり、K方を出てから、向いのN子の自転車にぶつかったり、地面に横になったり、また後述のようにAの頭部付近をもって上下にゆすったことも窺われるから、それらの際に自己の手を自転車や地面に打ちつけ傷を生じさせる可能性も否定することができないのである。

(五)  次に、被告人が本件の暴行の一部の存在を自認したかのような内容の被告人の検察官(二通)及び司法警察員(三通)に対する各供述調書等について検討する。

右の捜査官に対する各供述調書等によれば、被告人は、本件当日K方でAとともに焼酎を飲酒中同人から悪口をいわれて口論となり、両名でK方を出た後Aに対し後記のような暴行を加えたというのである。これに対し、当公判廷において被告人は、飲酒酩酊していたため当時のことはK方玄関先東側路上(第二現場)で横になっていたAを起こそうとした記憶がある程度で、本件暴行とされていることに関しては一切記憶がなく、捜査段階の各自認調書の内容については、捜査官から理詰めあるいは目撃者の供述があるなどと誘導されてやむなく認めたものにすぎないと供述している。

まず、当時の酩酊状態と被告人の記憶については、関係証拠、とくに医師石井厚の証人としての供述、鑑定人として作成した精神鑑定書等によれば、被告人は本件当時大量に焼酎を飲酒して複雑酩酊といえる高度の酩酊状態にあったことが認められるから、そのため事件当時の記憶が相当部分欠落することも十分ありうると考えられほとんど事件当時の記憶がないとする被告人の弁明にも相当の裏付けがあって、これを直ちに虚偽の供述と断ずるのは相当でない。

次に、被告人の自認する暴行の内容については、本件全体に関する供述と、各現場に関する供述とに分けられ、後者には、K方玄関先コンクリート付近(第一現場)におけるものと、同人方玄関先東側路上(第二現場)におけるものとがある。

本件全体に関するものとしては、「今話されたとおりAに怪我をさせたことは間違いありません」(司法警察員に対する昭和六〇年四月一五日付け弁解録取書)、「酔って腹を立てAさんに乱暴して大怪我をさせてしまった」(検察官に対する同年五月一日付け供述調書)などというものであり、第一現場に関するものは、「(K方)玄関を出てすぐのところで一方的に乱暴した」(同上)、「押し倒して(A)が動かなくなったことは覚えていますので、私が押し倒した際、コンクリートに頭をぶつけたものに間違いないと思います」(同上)などというのであり、第二現場に関するものは、「起きろ起きろと怒鳴ってAをたたいたり、地面にAをたたきつけたりした覚えがあります。」(司法警察員に対する同年四月一八日付け供述調書)、「Aの髪を私の両手でつかみ、地面に四、五回頭を叩きつけてやりました」(司法警察員に対する同月二二日付け供述調書)、「ひっぱって行こうとしたら直ぐに倒れたのでAの頭を地面にぶつけたことは覚えている」(検察官に対する同年五月一日付け供述調書)などというものである。

右の本件全体に関するものと第一現場に関するものは、包括的、抽象的な表現が多く、具体的にいかなる暴行を加えたとするものか必ずしも明らかでない。やや具体的なのは、「押し倒した」などの部分であるが、これらの各調書には、それらの記載とともに「間違いないと思います」とか、「私がやったことと思う」とか、「見ていた人がいればその人のいうことが正しいと思います」とかの記載が随所にみられ、そのことと前述のような被告人の当時の高度の酩酊状態にかんがみると、それらの記載部分については被告人に具体的な記憶があるというよりは、被告人の弁明するように理詰めあるいは誘導により供述したと解する余地があって、公訴事実中第一現場における各暴行の事実を認定するには未だ十分でないと考えられる(なお、前述したところからすれば、この点に関する補強証拠もまた不十分というべきであろう。)。

これに対し、第二現場に関するもの(起訴状の公訴事実には具体的な記載はないが検察官の釈明により訴因に含まれるとされた部分)は、被害者とされるAの頭部付近をもって地面に叩きつけたとの部分などは具体的な供述といえないではなく、関係証拠によれば、これに対応する道路上にAの頭部から流れ出たと思われる血痕も残っていたことが認められるから、この点の暴行にかぎっては、認定しうるのではないかとの疑いがないではない。しかし、他方において、被告人は捜査官に対する各供述調書においても、その直前の状況として、Aがぐったりしてしまっているので、大変なことが起きたと思い、Aを起こして連れて帰ろうとしていたが、Aはそのままぐったりしていたと述べ、右の状態は前記N子証言においてもほぼ裏づけられていることに照らせば、外形的にはAの頭部付近をもって地面に打ちつけるように見える行為も、Aを連れ帰ろうと助け起こそうとしてその頭部付近をつかんでゆすっただけである(被告人の当公判廷における供述)と解する余地を否定し去ることはできないものというべく(なお、Aの頭部から流出した血痕については、同人が後述のようになんらかの理由でK方玄関先付近で自ら転倒して頭部を強打した結果、第二現場で倒れている間に内部の血液が頭部の外に出てきたものとも、あるいは右のように助け起こそうとして頭部をゆすったときに頭部が地面に当たり出血したとも説明することが可能である)、前記の供述記載をもって被告人が暴行の故意をもってAの頭部付近を地面に打ちつけたと断定するには未だ十分とはいえない。

なお、以上の被告人の捜査官に対する各供述調書中の各暴行を自認するかの部分は、かねてから深酒をし、かつ酒ぐせが悪く粗暴な振舞に出たこともある被告人が(前掲L子証言、Bの検察官及び司法警察員に対する各供述調書、C子及びDの検察官に対する各供述調書並びに司法警察員作成の昭和六〇年四月一六日付け捜査報告書)、自己とAとが口論した後にAが倒れて怪我をしたという結果が生じたのを知り、身に確たる覚えはないものの、自己の行為となんらかの関係があるのではないかと危惧し、あるいは自責の念にかられ、他方目撃者の供述もあるといわれて、ある程度まで、自己の行為に起因するかのような供述をすることもまた考えられないではないのである。なお、被告人の捜査官に対する各供述調書中に散見されるAが倒れて動かなくなったのをみて、「事件になると感じた」などの部分(なお、被告人が事件直後現場にかけつけた警察官に対し、「俺だ、やったのは」などと口走った点もほぼ同様である)も、右のような被告人の特殊な心理状態から発した供述と解することもできないではなく、被告人のAに対する暴行を認定する決め手となるまでの証拠価値を認めることはできない。

(六)  なお、全証拠によるも、事件当時被告人以外の第三者が本件の被害者とされるAに暴行を加えたことを窺うに足りないことはすでに述べたとおりである。

しかしながら、関係証拠によれば事件当時Aもまた相当量の焼酎を飲んで高度に酩酊していたことが明らかであるほか、L子証言によれば、AがK方玄関を出てすぐに倒れたというのであり(L子証言が全体として信用性が低いことは前述したが、右の段階での目撃については、先に述べたような関係証拠等との矛盾、経験則違反等の難点があるわけではない)、またN子証言によれば前述のようにAは、K方玄関付近で一旦立ち上ったが、自ら後に倒れたというのであり、これらの事情とAが片足が悪く転び易かったという身体の状態であったこと(証人E子の当公判廷における供述、L子証言及び第六回公判調書中の証人Kの供述部分)をも考え合わせれば、Aが被告人の暴行によらずに自らK方玄関付近で転倒し頭部を強打した可能性もありえないではなく、本件においては第三者の関与を窺うに足りないことが、直ちに被告人による暴行の存在を推測させることになるというものとはいえない。

(七)  これまで説示したように、本件で被告人の有罪を窺わせる各証拠は、いずれも問題があって被告人のAに対する各暴行を認めるに足りるものではなく、またそれらを総合しても公訴事実の全部または一部を認めるには十分でないというべきである。

四  以上の次第で、本件において、被告人がAに対し公訴事実記載のような暴行を加えた疑いが全くないとはいえないが、しかし関係証拠を個別的に検討しても、また、それらを総合しても、被告人の弁明を排斥し切れないものがあって、いずれも右事実を認定するにつき合理的な疑いを解消するに足りないといわなければならないから、被告人の責任能力に対する判断に立ち入るまでもなく、結局、疑わしきは被告人の利益にとの刑事裁判の鉄則にしたがい、犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法三三六条後段により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊達夫 裁判官 須藤浩克 鈴木陽一)

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